末廣神社本殿(神殿)及び覆屋附棟礼二枚

末廣神社は、慶長6年(1601年)に森藩主久留島康親が郷里の伊予国の氏神である三島宮を勧請したことにはじまる。その後、明治5年に妙見宮を合祀し、翌6年に郷社となり末廣神社と改称した。
祭神は大山積之大神、天御中主之神である。本殿は総欅造りで彩色がなく、桁行三間、梁行二間の入母屋造りである。素木造りで彫刻や金具などの装飾も豊かで、細部も時代的特徴をよく表している。この本殿を覆う覆屋は「鞘堂」と呼ばれ、簡略的な建物でなく極めて大規模で本格的な構造をもつ。桁行六間、梁行六間、高さ11メートルの切妻造りである。
棟札や『御記録書抜』によると、覆屋が文政4年(1821年)12月に上棟、翌5年12月に竣工し、本殿は文政11年7月に上棟、翌12年2月に竣工している。
更新日:2021年04月01日