薬師如来像・毘沙門天像

更新日:2021年04月01日

二体とも、かや材を使う古式の像でほとんど動きのない体勢や丸顔に小ぢんまりした目鼻立ち、肉付きの薄い体型、浅い彫りの衣などから平安後期の12世紀の造立と考えられる。平安前期以来の一木造の伝統的技法を守っているあたりは、古くから土着した在地の仏師により造られたものであろう。
地元の言い伝えによると、伐株山上にあった高勝寺の旧仏とされ、戦火にかかり、ある時期から山麓の日吉神社(山王)に移されたといわれている。
これら二体は、玖珠郡内において、九重町滝上地区観音堂の木造阿弥陀如来坐像とともに、平安時代の仏教文化の様相を物語る数少ない遺品の一つとして注目される。

薬師如来像

人々の疾病を救い、世の中の一切煩悩を取り除く極めて現世利益的な仏として、我が国では仏教伝来以来早くから信仰され盛んに造像された。
総高約1.52メートル

毘沙門天像

東西南北の四方を守護する四天王(持国天・増長天・広目天・多聞天)のうち、多聞天が単独で信仰されたもので、中世以後は七福神の1つとして福富の神として尊崇された。
総高約1.53メートル

左側に左手が少し斜め上に上がり直立の毘沙門天像、右側は薬壷を左手に持ち、右手の手のひらを胸の高さまで上げている薬師如来像の2体の像が横長の木材の土台の上に設置されている写真

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