板碑

更新日:2021年04月01日

板碑は石塔婆の一種で、死者の追善供養、また生前の逆修供養のため、建立されたものである。
この板碑は、両面板碑と呼ばれるものである。残念ながら、下半分位が折れた状態である。頭部を山形に作り、その下に内へ向かって二段の切り込みを施している。碑身には墨書で、種子のキリーク=阿弥陀如来が一面に書かれており、その形から見ても南北朝時代頃のものと思われる。ほかに宝篋印塔(室町時代末期頃か)や五輪塔(室町時代末期頃か)などがあり、またすぐ近くの平井氏宅裏山にも、多数の石造物の各部分が残されており、一連のものと考えられる。
なお、この板碑のある所は「灰塚」と呼ばれ、中世天祖神社が戦火にあった時、その灰燼を集めた所だと伝えられている。

周囲に崩れ落ちた石が散乱したり、形の違う2つの石塔の前に、頂上が山型で造られ二重の切込みが施されている板碑が斜めに立っている写真

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