山路踊り(県選択無形民俗文化財)

更新日:2021年04月01日

山路踊りは、森藩八代藩主の通嘉が江戸から召し連れてきた御部屋様によって伝えられたといわれているが、これを裏付ける資料は、現在見つかっていない。
それがいつしか忘れられ、昭和10年(1935年)頃、森町女子青年団によって再び踊られるようになった。これが「正調山路踊り」といわれるものである。
その後、昭和25年(1950年)の第1回日本童話祭にはメインイベントとして、「山路踊り(数え唄)・酒宴づくしの唄」に合わせて正調山路踊りが披露された。
また昭和35年(1960年)10月15日には、保存会が組織され、同38年(1963年)に家庭舞踊家の千葉氏が来町し、時代に沿って一般の人々が踊りやすく親しみ易い、「新山路踊り」を作成した。現在では、「正調山路踊り」を踊れる人は少なくなり、「新山路踊り」が主流である。

道路に横3列になり、山吹色の帯を締め白色の浴衣を着た女性たちが山路踊りを踊っている様子の写真

この記事に関するお問い合わせ先

社会教育課 社会教育班

〒879-4405
大分県玖珠郡玖珠町大字岩室24番地の1

電話番号 0973-72-7151 ファックス番号 0973-73-9132


メールフォームによるお問い合わせ