伐株山の童話3

更新日:2021年07月29日

きこりの男が斧を肩にかけて大きな木を見上げているイラスト

 それから大男やこびきさんは、ヘクソカズラの精が教えてくれた通りに毎日その日の切りくずは焼きすて、焼きすててはきりつづけました。

 夏が来、秋が来て、寒い冬が来ましたが、こびきさんや大男たちは休まずきりつづけました。

 ギーコン ギーコン カーン カーンと、木を切る音が岩扇山(がんせんざん)にこだまして、森の衆も塚脇(つかわき)の衆も「こびきさんたちは、今朝も早よからがんばっている。俺たちもがんばらぬば。」と、こびきさんたちを応援しました。

 そうして三年三ヵ月がすぎ春がやってきて、くすの大樹をきり倒すことができました。

 玖珠盆地や日田盆地(ひたぼんち)は大きなみずうみだったのが、大木が倒れたのでみずうみの土手が切れて水が流れ出して玖珠川(くすがわ)ができ、水が流れ出してしまってひて(日田)しまいました。

 きくずを焼きすてた所がはいざん(現在の寺山(てらやま))、くすの木のせんたんが長崎(ながさき)、落葉のあとが博多(はかた)、葉の流れついたところが斯波(しば)、その切株が「伐株山(きりかぶさん)」だといい伝えられています。

 くすの大樹がきり倒されてからは村々や里に日がさすようになり、日田(ひた)、夜明(よあけ)、朝日(あさひ)、光岡(てるおか)などの地名が生まれました。

 「玖珠」という地名も、このくすの大樹に由来しているといわれています。

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