なぜ「くす」と言うの?(生い立ちと伝説)

伝説が残る伐株山
伝説が残る伐株山

「球珠(クス)郡。郷ハ参(サン)所。里ハ九。驛(エキ)ハ壹(イチ)所ナリ。昔者(ムカシ)。此村(コノムラ)ニ。洪(オホキナル) 樟(クス)ノ樹(キ)有リ。因リテ球珠郡ト日(イ)ヒキ」(豊後国風土記)

 

天平年間(730年代)の編纂といわれる『豊後国風土記』の記述にもあるように「くす」の名は由緒がはっきりしています。そして「久須」や「球珠」と呼ばれていた昔からずいぶん変わってきました。

明治4年(1871)廃藩置県当時、いまの玖珠町行政区画内は23村があり、22年(1889)に森村、万年村、北山田村、八幡村の4つの村に合併しました。その後、森村は明治26年森町に、万年村は昭和2年(1927)玖珠町に改称し、そして昭和30年(1955)この4町村が合併して新・玖珠町が発足しました。

大分県北西部にあるこの町は、東西27.1キロ、南北21.5キロ、総面積286.51平方キロに及ぶ広大な面積を擁し、90パーセントちかくが山林原野の山間(やまあい)の町です。地勢は溶岩が浸食された盆地で、第一級メサ台地の万年山(はねやま)(1,140メートル)、大岩扇山(691メートル)、鏡山(675メートル)が肩をならべて町を取りまいています。平地部には筑後川の上流・玖珠川が盆地の中央を東西に流れ、清水瀑園、三日月の滝などが自然の景観をいろどり、「おとぎの国」の雰囲気をかもしだします。

ロマンの里・玖珠の里人たちはそんな「くす」をユーモアたっぷりの物語に脚色して語り継いでいます。たとえば・・・

「昔、この盆地には樟の大樹がそびえいて、その木陰では作物が育たず里人は困っていました。そんなある日、大男が通りかかったので「あの木を切り倒してください」と里人はお願いしました。うなずいた大男は苦心のすえ、ついにその大木を切り倒しました。その切り株が、そう、伐株山というわけ・・・」。そうです、伐株山(きりかぶさん)(685.5メートル)民話の由来にも進展させているのです。

 

かの山を見よ かの山は
伐株の山
いにしへの
玖珠の大樹のそびえいし山

伊馬 春部(劇作家)


物語や詩が生まれ育つ玖珠盆地は、ゆったりと玖珠川が流れ、まわりをメサが取り囲むのどかな里です。

ところで「万年山」を「はねやま」と読ませるにはいろんな説があるようです。

第1は、大きな樟の木を切ったところ、根元からはねあげられた土が山になったので「刎山」に・・・と。次の説は「万年山」の3文字を一字ずつ仮名で書けば各文字とも「ん」と刎ねあげた音がでるので「はね山」に・・・。また、川から大鮗(おおいだ)が跳ねあがった丘を里人は「はね山」と呼び、こんないいことは万年も・・・と願った。第4は、兎と亀の駆けくらべのお話から。兎は「はねる」、亀は「万年いきる」を組み合わせた説はいかにも童話の里らしい物語です。

※メサ(mesa)=スペイン語。卓・台の意
頂上が平坦で周囲が急傾斜した卓状地形。台地が浸食作用を受けて抵抗の強い水平な地層が下の抵抗の弱い地層の上にのったもの。源平合戦の香川県屋島、玖珠の万年山がその例。(「広辞苑」ほか)

大岩扇山(標高691メートル)
大岩扇山(標高691メートル)
童話の里

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更新日:2017/9/6

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