滝瀬楽(県指定無形民俗文化財)
滝瀬楽(県指定無形民俗文化財)
 滝瀬楽は、桜岡滝神社の秋季大祭10月29日と11月1日に奉納される杖楽である。
 起源は昔、40余日の長雨で、万年山麓の一角が崩れ、玖珠川を堰きとめ、そのため人家や田畑が浸水し、死者が700余名にも達する大災害が起こった。 住民は必死の排水工事を行ったが効なく、万策が尽きて滝神社に祈願を行った。満願の日に今まで堰き止められていた土砂が押し流されたことから、神の御加護を深く感謝し神慮を慰めることを誓ったのが、始まりだといわれている。
 奏上される「滝瀬楽縁起」に、享保4年(1719年)筆があることから、奉納の始まりはそれ以前であろうと推測される。
 演技は、楽支度所である平泉山法蓮寺に集合し、隊列を整え本殿にむかい、この間「道楽」を奏する。本殿に着くと、宮巡りのヌキガクに変えて一巡する。奏上が終われば、「庭楽」に移る。庭楽は、ハナ杖・ギャク・ゴボウ・シバヒキ・ヨルノ杖・カサヌギ・ナタナゲ・ヒキカリーの8種と道楽にはないオサエが加わる。最後のオサエは年長者が打つ。


 

鬼塚古墳(県指定史跡)
鬼塚古墳(県指定史跡)
 鬼塚古墳は、伐株山の西麓に開ける扇状地の末端付近に位置し、小さな谷を望む丘陵の先端に立地する装飾古墳である。墳丘は周囲を大きく削られており、現状では直径約12メートル、高さ約4メートルの円墳である。
 墳丘は後世に川原石で覆われ、墳頂には社殿が建てられている。
 主体部は横穴式石室で、羨道部を除いてほぼ原型をとどめ、玄室と前室からなる複室構造である。
 装飾は前室と玄室を区切る右袖石の前室側や玄室奥壁、側壁など4ヶ所に見られ、奥壁には三重の同心円文や円文、船などが全体に描かれている。また、右側壁は同心円文や円文、左側壁には円文や人物が描かれている。これらの文様は赤色を基本としているが、一部白色や黄色の顔料が見られる。
 同心円文の多用と船の絵柄などから、筑後・浮羽地方の影響を強く受けたことが推定され、日田地域ののびのびとした自由画風の絵柄とは異なり、やや典型的である。特に奥壁全体に同心円文や円文を描く構図は、福岡県吉井町日ノ岡古墳の奥壁を思わせる。
 発掘調査は行われていないが、石室の構造や文様の構成から6世紀後半に推定され、玖珠川左岸一帯を支配した首長墓である。


 

鬼ヶ城古墳(県指定史跡)
鬼ヶ城古墳(県指定史跡)
 鬼ヶ城古墳は、小岩扇山から南西に伸びる標高410メートルの丘陵上に立地し、平野部からの比高差は約70メートルである。古墳は石室の壁面に線刻で文様が描かれた装飾古墳である。
 現状で直径約14メートル、高さ約5メートルを測る円墳である。墳丘の周囲は杉林であるが、昭和63年(1988年)の19号台風によりすべて倒された。
 主体部は玄室と前室からなる複室構造の横穴式石室であるが、すでに羨道部を失い全長約5.7メートルを測る。前室・玄室ともに腰石に高さ約2メートル近い大きな石を用い、天井はそれぞれ一枚石である。玄室奥壁は1.5メートルほどの鏡石を据え、その上部には石棚が突出している。
 文様は、玄室と前室を画する左袖石に描かれ、全面に線刻が認められるが、現状で明瞭に形状が判るのは「木の葉」だけである。以前の報告には、「人物」や「群鳥」・「船」などが見られたというが、今は確認できない。
 線刻が施された古墳は、筑後川流域では類例がなく、「木の葉」の文様はむしろ周防灘沿岸地域の古墳に見られ、また石棚を持つ石室は、福岡県南部から熊本県北部の古墳に類似し、大分市千代丸古墳にも認められる。
 時期は7世紀初頭前後と考えられている。