末廣神社本殿(神殿)及び覆屋 附 棟礼二枚(県指定有形文化財)
末廣神社本殿(神殿)及び覆屋 附 棟礼二枚(県指定有形文化財)  末廣神社は、慶長6年(1601年)に森藩主久留島康親が郷里の伊予国の氏神である三島宮を勧請したことにはじまる。その後、明治5年に妙見宮を合祀し、翌6年に郷社となり末廣神社と改称した。
 祭神は大山積之大神、天御中主之神である。本殿は総欅造りで彩色がなく、桁行三間、梁行二間の入母屋造りである。素木造りで彫刻や金具などの装飾も豊かで、細部も時代的特徴をよく表している。この本殿を覆う覆屋は「鞘堂」と呼ばれ、簡略的な建物でなく極めて大規模で本格的な構造をもつ。桁行六間、梁行六間、高さ11メートルの切妻造りである。
 棟札や『御記録書抜』によると、覆屋が文政4年(1821年)12月に上棟、翌5年12月に竣工し、本殿は文政11年7月に上棟、翌12年2月に竣工している。


 

末廣神社 栖鳳楼(県指定有形文化財)
末廣神社栖鳳楼(県指定有形文化財)  木造二階建て、寄棟造りで、三島宮の造営工事の一環として造られた。『御記録書抜』の天保3年(1832年)9月晦日条に、この建物のことと思われる「御山御茶屋」の棟上げのことが記されており、このことから森藩主八代久留島通嘉の代に建てられたことが判る。
 三島宮祭礼の御通夜をはじめ、階下は茶道や華道など高尚な趣味に使用された。春は桜、秋は月見・紅葉見が行われ、「紅葉の御茶屋」とも呼ばれ、二階の天井には断熱効果のために籾殻が20センチほど入れている。
 建物は、敷地の高低差を利用してうまく建てられており、高くなっている西側から直接二階へ出入りすることもできる。二階は十二畳半の室を東西に並べ東の部屋は「書院」と呼ばれ、二室の東・西・南の三方に、手摺り付きの縁がまわる。一・二階とも東から南側が開放的に造られ、室内から森城下町を眺望することができ、天主の代用として建てられたともいわれている。


 

山下岩戸楽(県指定無形民俗文化財)
山下岩戸楽(県指定無形民俗文化財)  山下岩戸楽は、大御(おおみ)神社(大字山下中の原)の9月18日に行われる秋祭りで奉納される。
 伝承では、日野善右衛門清賢が藩主久留島公の命によって、日田西有田の庄屋から天和2年(1681年)に山下村庄屋として着任し、日田大行事八幡に伝承されていた磐戸楽を伝えたといわれている。
 また神社境内の石祠には、「寛保2年(1792年)2月、奉寄進日野善右衛門清賢」の銘がある。
 演技は、まず「道楽」を世話前の地区から神社まで打ち、鳥居を入ると、杖は一列縦隊で「道楽」を一回打つ。境内に入り、6名の杖が2列に並んで庭巡りをし、ハンヤ(般若)楽にあわせて杖を打つ。杖が終わると、拝殿前に莚を敷き、巻物読み・コモラシ宰領・コモラシ4人が順に座る。コモラシの1人が「巻物持ち」から巻物を受け取って、奏上者に渡す。
 巻物が読み終わると、太鼓が鳴り始め、囃子方が本楽を打つ。コモラシは、楽にあわせて、「立巡・立居・打合・飛違・中腰・膝付・臥転・向返・後返・返」の十番を舞い、最後に「兵庫モラシ」を舞う。そして宮巡りをして退場する。